松平 親貞(まつだいら ちかさだ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。大草松平家第2代当主。父は同家初代・松平光重。弟は松平昌安(弾正左衛門信貞・大草3代当主)、松平貞光(左近将監)。「左馬允」と称した。具体的な動向を示す資料は乏しいが、文亀元年(1501年)の「大樹寺連判状」(注)に岡崎左馬允「親貞」の名があり、この時期には彼が家督を継いでいたと推測できる。また永正3年(1506年)から同6年にかけての今川氏親、伊勢新九郎長氏(北条早雲)による三河への進入の際に、あるいは戦死したことが考えられる。永正5年(1508年)の父「光重」の没後、永正8年(1511年......
松平 親貞(まつだいら ちかさだ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。大草松平家第2代当主。父は同家初代・松平光重。弟は松平昌安(弾正左衛門信貞・大草3代当主)、松平貞光(左近将監)。「左馬允」と称した。具体的な動向を示す資料は乏しいが、文亀元年(1501年)の「大樹寺連判状」(注)に岡崎左馬允「親貞」の名があり、この時期には彼が家督を継いでいたと推測できる。また永正3年(1506年......