松平 昌安(まつだいら まさやす、? - 大永5年7月22日(1525年8月10日))は、戦国時代の武将。通称は弾正左衛門。彼のものとみられる文書の写しには信貞とあり、そのように記す史書がある(『改正三河後風土記』『朝野旧聞裒藁』など)。大草松平家初代当主・松平光重の子とするのが一般的であるが(『寛政重修諸家譜』など)、実父は西郷弾正左衛門頼嗣であるとも言われ、それゆえ西郷信貞として呼ばれることがある。兄親貞の後を継いで同家の第3代当主となり、岡崎城(明大寺旧城)を居所として、岡崎市南部および大草城(愛知県幸田町北部)を支配したと考えられる。大永4年(15......
松平 昌安(まつだいら まさやす、? - 大永5年7月22日(1525年8月10日))は、戦国時代の武将。通称は弾正左衛門。彼のものとみられる文書の写しには信貞とあり、そのように記す史書がある(『改正三河後風土記』『朝野旧聞裒藁』など)。大草松平家初代当主・松平光重の子とするのが一般的であるが(『寛政重修諸家譜』など)、実父は西郷弾正左衛門頼嗣であるとも言われ、それゆえ西郷信貞と......