松平 康親(まつだいら やすちか、大永元年(1521年) - 天正11年6月17日 (旧暦)|6月17日(1583年8月4日))は戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。初め松井 忠次(まつい ただつぐ)と称す。通称は金四郎、近衛府|左近将監、左近尉、左近、後に松平周防守康親と改称したとされるが異説もある。松井忠直の子。松井松平家の祖。
松平 康親(まつだいら やすちか、大永元年(1521年) - 天正11年6月17日 (旧暦)|6月17日(1583年8月4日))は戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。初め松井 忠次(まつい ただつぐ)と称す。通称は金四郎、近衛府|左近将監、左近尉、左近、後に松平周防守康親と改称したとされるが異説もある。松井忠直の子。松井松平家の祖。