本多 忠次(ほんだ ただつぐ、天文16年(1547年)- 慶長18年4月6日(1613年5月25日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。徳川氏の家臣。三河国宝飯郡伊奈郷(愛知県豊川市伊奈町)の伊奈城々主(伊奈本多氏5世)。のちの近江国膳所藩主本多氏の祖。通称は隼人佑・縫殿助・彦八郎。本多忠俊の子。
本多 忠次(ほんだ ただつぐ、天文16年(1547年)- 慶長18年4月6日(1613年5月25日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。徳川氏の家臣。三河国宝飯郡伊奈郷(愛知県豊川市伊奈町)の伊奈城々主(伊奈本多氏5世)。のちの近江国膳所藩主本多氏の祖。通称は隼人佑・縫殿助・彦八郎。本多忠俊の子。