木下 勝俊(きのした かつとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名、歌人。若狭小浜城(後瀬山城)主で、官位が従四位下式部大夫、左近衛権少将であったので、通称を若狭少将と言う。一時期はキリシタンでもあって洗礼名は「ペテロ」と伝わる。歌人としては長嘯(ちょうしょう)または長嘯子(ちょうしょうし)、あるいは挙白(きょはく)、天哉爺(てんかおう)など様々の称を用いた。一般には木下長嘯子の名が高名。関ヶ原の戦いでは東軍に属して伏見城留守居の将とされたが、鳥居元忠に退去を迫られ、これに従った結果、敵前逃亡したと戦後に責められて改易された。次いで父家定の備中足......
木下 勝俊(きのした かつとし)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名、歌人。若狭小浜城(後瀬山城)主で、官位が従四位下式部大夫、左近衛権少将であったので、通称を若狭少将と言う。一時期はキリシタンでもあって洗礼名は「ペテロ」と伝わる。歌人としては長嘯(ちょうしょう)または長嘯子(ちょうしょうし)、あるいは挙白(きょはく)、天哉爺(てんかおう)など様々の称を用いた。一般には木......