朝倉 景冬(あさくら かげふゆ)は、室町時代末期から戦国時代前期にかけての武将。元は越前国守護斯波氏の軍奉行であった。越前守護斯波義敏と守護代甲斐常治との間に起こった長禄合戦や、応仁の乱などで兄孝景と共に活躍する。特に応仁の乱での活躍はめざましく、『朝倉始末記』などによれば、京童から「朝倉の小天狗」といわれた。兄の死後は、敦賀郡司として甥の氏景をよく補佐し、越前統一に助力した。長享元年(1487年)の10代将軍足利義尚の近江六角高頼征伐(長享・延徳の乱)の際は、先陣として142騎と兵1500を率いて近江坂本に出陣した(但し、当主朝倉貞景は斯波義寛との同陣を......
朝倉 景冬(あさくら かげふゆ)は、室町時代末期から戦国時代前期にかけての武将。元は越前国守護斯波氏の軍奉行であった。越前守護斯波義敏と守護代甲斐常治との間に起こった長禄合戦や、応仁の乱などで兄孝景と共に活躍する。特に応仁の乱での活躍はめざましく、『朝倉始末記』などによれば、京童から「朝倉の小天狗」といわれた。兄の死後は、敦賀郡司として甥の氏景をよく補佐し、越前統一に助力した。長......