思倫発(し りんはつ、生年不詳 - 1399年)は元代末期から明代初期の人物。麓川(現在の徳宏タイ族チンポー族自治州)の思氏は、思倫発の祖父思可法の代に雲南西南部からタイ、ビルマに至る地域を支配し元の梁王や大理の段氏に比肩する一大勢力を形成していた。思倫発は1383年に明に服属し麓川平緬軍民宣慰使に任じられ、明の土司となる。1381年の明の雲南遠征によって梁王は平定されたものの、明軍は略奪に頼らなければならないほどに雲南の食糧事情は悪化していた。こうした状況を背景に1385年、思倫発は雲南中部の景東に攻め入って俄陶、王昇らを討ち取り明に反旗を翻した。景東......
思倫発(し りんはつ、生年不詳 - 1399年)は元代末期から明代初期の人物。麓川(現在の徳宏タイ族チンポー族自治州)の思氏は、思倫発の祖父思可法の代に雲南西南部からタイ、ビルマに至る地域を支配し元の梁王や大理の段氏に比肩する一大勢力を形成していた。思倫発は1383年に明に服属し麓川平緬軍民宣慰使に任じられ、明の土司となる。1381年の明の雲南遠征によって梁王は平定されたものの......