忻都(きんと、生没年不詳)は、元のモンゴル人武将。名前の原音はモンゴル語、テュルク諸語でインドを意味する「ヒンドゥー」が近いとされている。日本遠征の準備のために高麗に設けられた屯田を監督する鳳州計略使に任じられ、洪茶丘とともに遠征の準備と並行して三別抄の反乱を鎮圧する。至元11年(1274年)、都元帥として高麗を経て日本に侵攻する(文永の役)。北九州に上陸したものの日本軍によって進撃を阻止され、夜に入って撤退、帰途は暴風雨のため多大の被害を蒙った。至元17年(1280年)、日本再征を具申し、日本行省右丞に任ぜられ、翌至元18年(1281年)、征東元帥として......
忻都(きんと、生没年不詳)は、元のモンゴル人武将。名前の原音はモンゴル語、テュルク諸語でインドを意味する「ヒンドゥー」が近いとされている。日本遠征の準備のために高麗に設けられた屯田を監督する鳳州計略使に任じられ、洪茶丘とともに遠征の準備と並行して三別抄の反乱を鎮圧する。至元11年(1274年)、都元帥として高麗を経て日本に侵攻する(文永の役)。北九州に上陸したものの日本軍によって......