徐鉉(じょげん、916年 - 991年)は、中国の五代十国時代から北宋代の政治家・学者・書家。字は鼎臣(ていしん)。弟の徐鍇(じょかい、「鍇」はかねへんに「皆」)とともに篆書によく通じて「二徐」と並び評され、弟に対し「大徐」と呼ばれた。篆書を中心とした後漢代の漢字字典『説文解字』の校訂者として知られる。
徐鉉(じょげん、916年 - 991年)は、中国の五代十国時代から北宋代の政治家・学者・書家。字は鼎臣(ていしん)。弟の徐鍇(じょかい、「鍇」はかねへんに「皆」)とともに篆書によく通じて「二徐」と並び評され、弟に対し「大徐」と呼ばれた。篆書を中心とした後漢代の漢字字典『説文解字』の校訂者として知られる。