徐 愛(じょ あい、1487年(成化23年) - 1517年(正徳12年)は、中国明代の陽明学者である。字は曰仁、号は横山。浙江省余姚の人(王陽明とは同郷である)。早くから王陽明に従い、陽明の妹を妻に娶った。伝習録序文と上巻十四条の筆録者。陽明から「曰仁は我が門の顔回だ」と評されたが、奇しくも顔回と同じく31歳で病没し、陽明は食事も喉を通らぬほどに悲しんだという。
徐 愛(じょ あい、1487年(成化23年) - 1517年(正徳12年)は、中国明代の陽明学者である。字は曰仁、号は横山。浙江省余姚の人(王陽明とは同郷である)。早くから王陽明に従い、陽明の妹を妻に娶った。伝習録序文と上巻十四条の筆録者。陽明から「曰仁は我が門の顔回だ」と評されたが、奇しくも顔回と同じく31歳で病没し、陽明は食事も喉を通らぬほどに悲しんだという。