張 倹(ちょう けん、生没年不詳)は後漢の人物。山陽高平の人。字は元節。『後漢書』党錮列伝に記録がある。趙王張耳の末裔であるという。名士として知られ、「八及」の一人に挙げられた。劉表とも親交があった。父の張成は江夏太守であった。茂才に挙げられたが、刺史の人物を評価できなかったため出仕しなかった。。165年、太守翟超(「八及」の一人)に東部督郵に任命された。当時権勢を振るっていた宦官の侯覧の家が防東県にあり、一族が不正を働いていたが、張倹はその不正を弾劾し、侯覧の母を殺害しようとしたが、侯覧は張倹の奏上を差し止めた。169年に邸宅で用いていた一人の下僕を解雇......
張 倹(ちょう けん、生没年不詳)は後漢の人物。山陽高平の人。字は元節。『後漢書』党錮列伝に記録がある。趙王張耳の末裔であるという。名士として知られ、「八及」の一人に挙げられた。劉表とも親交があった。父の張成は江夏太守であった。茂才に挙げられたが、刺史の人物を評価できなかったため出仕しなかった。。165年、太守翟超(「八及」の一人)に東部督郵に任命された。当時権勢を振るっていた宦......