康公(こうこう)は、春秋時代・斉(姜斉)の第32代にして最後の君主。宣公の子。田和を宰相としたが、自身は酒色に耽り、政治を顧みなかった。前404年、三晋(韓・魏・趙)が斉を攻め、康公を捕虜として周の威烈王に謁見し、諸侯に加えられるよう求めた。前391年、康公は田和によって海上の孤島に追放され、食邑として城を1つだけ与えられ、祖先の霊を祀ることとされた。田和は自立して斉の君主と称した(田斉の太公)。前379年、康公が死去した。ここに太公望以来の姜斉の家系は断絶し、田和の家系が斉の新たな支配者となった(田斉)。山東省煙台市芝罘区にある陸繋島・には、康公のものと......
康公(こうこう)は、春秋時代・斉(姜斉)の第32代にして最後の君主。宣公の子。田和を宰相としたが、自身は酒色に耽り、政治を顧みなかった。前404年、三晋(韓・魏・趙)が斉を攻め、康公を捕虜として周の威烈王に謁見し、諸侯に加えられるよう求めた。前391年、康公は田和によって海上の孤島に追放され、食邑として城を1つだけ与えられ、祖先の霊を祀ることとされた。田和は自立して斉の君主と称し......