平 当(へい とう、? - 紀元前4年)は、前漢の人。字は子思。祖父の時に財産家であったことから梁国下邑から平陵に移住した。平当は若くして大行治礼丞となり、大鴻臚文学に遷り、県長、県令と出世し、経書に詳しいということで博士となった。その後、大臣が平当を推薦し、給事中になった。天変地異があるたびに経書に引き付けて解釈し、政治上の問題点を述べた。元帝の時、丞相韋玄成が太上皇(劉太公)の廟などを廃止しようとした際に太上皇を尊ぶべきことを進言したため、元帝は太上皇の廟などを復活した。使者となって流民を幽州へ行かせることとなった際、刺史や太守で勤勉な者の名を上奏し、......
平 当(へい とう、? - 紀元前4年)は、前漢の人。字は子思。祖父の時に財産家であったことから梁国下邑から平陵に移住した。平当は若くして大行治礼丞となり、大鴻臚文学に遷り、県長、県令と出世し、経書に詳しいということで博士となった。その後、大臣が平当を推薦し、給事中になった。天変地異があるたびに経書に引き付けて解釈し、政治上の問題点を述べた。元帝の時、丞相韋玄成が太上皇(劉太公)......