平塚 久賀(ひらつか ひさよし)は、安土桃山時代の武将。平塚為広の弟である。名は「きゅうが」とも。兄の為広は猛将として知られていたが、その弟である久賀は「大剛の者」として名が高かった。当時、関東を領していた徳川家康はその噂を聞いて召し抱えようとしたが、久賀は「内府(家康)様は吝い人だから、知行を惜しんで栄達は望めぬ」と断って石田三成に仕えた。戦乱で消失した紀伊国の大福山本恵寺を再建したとされる。慶長5年(1600年)の東西決戦では西軍に属し、9月15日の関ヶ原本戦にも参加して奮戦するが、石田隊は壊滅して久賀は生け捕られた。そして家康のもとに引き出された。家......
平塚 久賀(ひらつか ひさよし)は、安土桃山時代の武将。平塚為広の弟である。名は「きゅうが」とも。兄の為広は猛将として知られていたが、その弟である久賀は「大剛の者」として名が高かった。当時、関東を領していた徳川家康はその噂を聞いて召し抱えようとしたが、久賀は「内府(家康)様は吝い人だから、知行を惜しんで栄達は望めぬ」と断って石田三成に仕えた。戦乱で消失した紀伊国の大福山本恵寺を再......