川上 久利(かわかみ ひさとし、永禄元年(1558年) - 寛永17年(1640年))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての薩摩国島津氏の武将。父は島津氏庶流の川上氏11代当主・川上久隅、母は本田薫親の娘。幼名は犬満丸、通称は彦三郎、左衛門尉。天正2年(1574年)、島津義久に拝謁してより島津氏の武将として働いた。しかし、文禄の役の際、島津義弘に従軍して朝鮮に渡るも勝手に帰国するという事態を惹き起こす。本来、父の後を継いで川上氏宗家の家督を継ぐ立場であったが、この所業に立腹した父の久隅により、久利の弟である川上久通が家督代とされた。その久通は慶長3年(15......
川上 久利(かわかみ ひさとし、永禄元年(1558年) - 寛永17年(1640年))は、安土桃山時代から江戸時代にかけての薩摩国島津氏の武将。父は島津氏庶流の川上氏11代当主・川上久隅、母は本田薫親の娘。幼名は犬満丸、通称は彦三郎、左衛門尉。天正2年(1574年)、島津義久に拝謁してより島津氏の武将として働いた。しかし、文禄の役の際、島津義弘に従軍して朝鮮に渡るも勝手に帰国する......