山本 平一(やまもと へいいち、生年不詳 - 慶長10年5月13日(1605年6月29日))は、戦国時代の武将・江戸時代の旗本。徳川直臣で伏見城在番。甲斐武田氏家臣山本十左衛門尉の嫡男。通称は平一郎、諱は幸明か。兄弟に素一郎、弥八郎、三郎右衛門(三代菅助)。父の十左衛門尉は饗庭氏の出自で、天文20年(1551年)に男子のいなかった初代山本菅助(勘助)の養子となる。その後天文22年(1553年)に初代菅助に男子が生まれたが(二代菅助)、二代菅助は天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いにおいて戦死したため、十左衛門尉が山本家を継ぐ。天正10年(1582年......
山本 平一(やまもと へいいち、生年不詳 - 慶長10年5月13日(1605年6月29日))は、戦国時代の武将・江戸時代の旗本。徳川直臣で伏見城在番。甲斐武田氏家臣山本十左衛門尉の嫡男。通称は平一郎、諱は幸明か。兄弟に素一郎、弥八郎、三郎右衛門(三代菅助)。父の十左衛門尉は饗庭氏の出自で、天文20年(1551年)に男子のいなかった初代山本菅助(勘助)の養子となる。その後天文22年......