小笠原 定基(おがさわら さだもと、生年不詳 - 永正8年8月23日(1511年9月15日))は、戦国時代の武将。信濃小笠原氏分家・松尾小笠原家当主。松尾城主。父は小笠原家長。子に小笠原貞忠。貞基と表記されることもある。通称は六郎。官位は兵庫助、弾正少弼、左衛門佐。定基は、家伝の糾法に精錬していた鈴岡小笠原家の小笠原政秀から伝習を受けていたが、明応2年(1493年)1月4日、年頭の祝賀と称して政秀を松尾城に誘い、帰途を攻撃して暗殺したことから、鈴岡家は滅亡し、その遺族は府中小笠原家の小笠原長朝を頼った。翌3年(1494年)1月13日、松尾城外の毛賀沢に長朝......
小笠原 定基(おがさわら さだもと、生年不詳 - 永正8年8月23日(1511年9月15日))は、戦国時代の武将。信濃小笠原氏分家・松尾小笠原家当主。松尾城主。父は小笠原家長。子に小笠原貞忠。貞基と表記されることもある。通称は六郎。官位は兵庫助、弾正少弼、左衛門佐。定基は、家伝の糾法に精錬していた鈴岡小笠原家の小笠原政秀から伝習を受けていたが、明応2年(1493年)1月4日、年頭......