尉遅乙僧(うっち おっそう、うっち いっそう)は、唐初の画家。西域の画法を唐にもたらした。張彦遠『歴代名画記』巻九によると、于闐(ホータン王国)の出身で、父の尉遅跋質那も隋に仕えた高名な画家だった。父を大尉遅、子を小尉遅と呼んだ。朱景玄『唐朝名画録』では吐火羅国(バクトリア)の人とし、甲僧という兄がいたとするなど、『歴代名画記』とは説明が異なる。尉遅という姓はホータン王国の国姓であり、『歴代名画記』の方が正しいと思われる。外国や菩薩の絵をよくし、その技法は「屈鉄盤糸」(鉄を屈し糸をわだかまらせる)と称された。『歴代名画記』巻二では尉遅乙僧を呉道玄・閻立本と......
尉遅乙僧(うっち おっそう、うっち いっそう)は、唐初の画家。西域の画法を唐にもたらした。張彦遠『歴代名画記』巻九によると、于闐(ホータン王国)の出身で、父の尉遅跋質那も隋に仕えた高名な画家だった。父を大尉遅、子を小尉遅と呼んだ。朱景玄『唐朝名画録』では吐火羅国(バクトリア)の人とし、甲僧という兄がいたとするなど、『歴代名画記』とは説明が異なる。尉遅という姓はホータン王国の国姓で......