宣王(せんおう)は周朝の第11代王。父・厲王は前842年に逃亡し、以後は王が不在のまま共和制が敷かれていた。紀元前828年に厲王が崩御した後、厲王の子である静が王として立てられた。治世前期は、を輔政とし国勢が中興し、宣王中興と称される時期を築いた。他にも、新興諸侯として弟の王子友(桓公)を鄭に封じたことが事蹟として挙げられる。他方、軍事面では秦仲や杜伯といった大夫たちに命じて積極的な異民族征伐に乗り出したが、こちらは徐々に劣勢となり、紀元前789年の千畝(せんぽ)の役で姜戎に大敗するなど、あまり思わしくなかった。治世後期には政治面でも厲王にみられる君主独裁......
宣王(せんおう)は周朝の第11代王。父・厲王は前842年に逃亡し、以後は王が不在のまま共和制が敷かれていた。紀元前828年に厲王が崩御した後、厲王の子である静が王として立てられた。治世前期は、を輔政とし国勢が中興し、宣王中興と称される時期を築いた。他にも、新興諸侯として弟の王子友(桓公)を鄭に封じたことが事蹟として挙げられる。他方、軍事面では秦仲や杜伯といった大夫たちに命じて積極......