夫概・夫槩(ふがい、生没年不詳)は、呉王の諸樊または余昧の子(『史記索隠』が引く唐の孔穎達の言)、闔閭の弟。前506年に、で孫武、伍子胥とともに楚の公族である(荘王の曾孫)の軍勢を蹴散らして、その都である郢を占領した。そのとき、闔閭は王宮のうち旧令尹邸を末子の公子子山に与えた。しかし、夫概は甥の子山を攻撃したので、叔父を恐れた子山は立ち退いて、父の陣営に向かった。代わって夫概がここを本営とした(『春秋左氏伝』)。翌前505年に、兄が呉越の戦いの最中に、こっそりと陣払いをし、自立して呉王を名乗ったが、戻ってきた闔閭の兵に敗れて、楚に亡命した。その後、楚から領......
夫概・夫槩(ふがい、生没年不詳)は、呉王の諸樊または余昧の子(『史記索隠』が引く唐の孔穎達の言)、闔閭の弟。前506年に、で孫武、伍子胥とともに楚の公族である(荘王の曾孫)の軍勢を蹴散らして、その都である郢を占領した。そのとき、闔閭は王宮のうち旧令尹邸を末子の公子子山に与えた。しかし、夫概は甥の子山を攻撃したので、叔父を恐れた子山は立ち退いて、父の陣営に向かった。代わって夫概がこ......