大藤 政信(だいとう まさのぶ、生年不詳 - 天正14年5月23日 (旧暦)|5月23日(1586年7月9日)?)は、戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。北条氏政の家臣で、相模国中郡郡代、田原城 (相模国)|田原城主。大藤秀信|秀信(政信(初代))の子。通称・与七、式部少輔(式部丞)。主君の北条氏政から偏諱|1字を賜って政信と名乗るが、父の秀信も同様に1字を賜って「政信」と改名したため、区別するために「二代目政信」とも呼ばれる場合もある。元亀3年(1572年)、父が武田信玄による遠江国二俣城攻撃の援軍として派遣された際に戦死したために、その家督を継いだ。足......
大藤 政信(だいとう まさのぶ、生年不詳 - 天正14年5月23日 (旧暦)|5月23日(1586年7月9日)?)は、戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。北条氏政の家臣で、相模国中郡郡代、田原城 (相模国)|田原城主。大藤秀信|秀信(政信(初代))の子。通称・与七、式部少輔(式部丞)。主君の北条氏政から偏諱|1字を賜って政信と名乗るが、父の秀信も同様に1字を賜って「政信」と改名し......