多田 三八郎(ただ さんぱちろう、生年不詳 - 永禄6年(1563年))は、戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣で足軽大将。武田信虎・武田信玄の2代に仕える。三八・三八郎、国司|淡路守。諱は『寛永諸家系図伝』に拠れば「昌澄」、『甲斐国志』人物部第五に拠れば「満頼」としているが、文書上からは確認されない。子は『甲陽軍鑑』に拠れば新蔵・久蔵、『寛永諸家系図伝』に拠れば新八郎(八右衛門)、多田昌俊|昌俊とされる。また、同じく武田家の足軽大将である治部左衛門も縁者と考えられている。後代には武田の5名臣に含まれる。
多田 三八郎(ただ さんぱちろう、生年不詳 - 永禄6年(1563年))は、戦国時代 (日本)|戦国時代の武将。甲斐武田氏家臣で足軽大将。武田信虎・武田信玄の2代に仕える。三八・三八郎、国司|淡路守。諱は『寛永諸家系図伝』に拠れば「昌澄」、『甲斐国志』人物部第五に拠れば「満頼」としているが、文書上からは確認されない。子は『甲陽軍鑑』に拠れば新蔵・久蔵、『寛永諸家系図伝』に拠れば新......