堀 秀村(ほり ひでむら、弘治3年(1557年) - 慶長4年8月1日(1599年9月20日))は、戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は次郎。諱は「元積」とも。遠江守。『寛政重修諸家譜』では、堀某(次郎・遠江守・秀基)とその子の存村(石見守)の2人に分けて記述されている。近江国北部の鎌刃城の城主で浅井長政に仕えていたが、1570年に敵方の木下秀吉の参謀竹中重治や家臣の樋口直房の説得で、織田方に寝返る。その後、激怒した浅井方に攻められ、鎌刃城を失う。しかし姉川の戦いの敗戦で浅井氏の影響力が弱まると、織田信長に再び鎌刃城の城主を任された。1571年には浅井方......
堀 秀村(ほり ひでむら、弘治3年(1557年) - 慶長4年8月1日(1599年9月20日))は、戦国時代から安土桃山時代の武将。通称は次郎。諱は「元積」とも。遠江守。『寛政重修諸家譜』では、堀某(次郎・遠江守・秀基)とその子の存村(石見守)の2人に分けて記述されている。近江国北部の鎌刃城の城主で浅井長政に仕えていたが、1570年に敵方の木下秀吉の参謀竹中重治や家臣の樋口直房の......