垪和 氏続(はが うじつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。駿河国興国寺城主。垪和氏は美作国の国人で室町幕府奉公衆であった垪和氏の一族と見られる。氏続は弘治3年(1557年)7月に父・垪和伊予守氏堯から家督を継承した。『北条氏所領役帳』で松山衆として1028貫675文の知行高が記録されている。これは松田・大道寺・遠山ら重臣並みの知行であり、さらに後北条氏の通字である「氏」の字を、家臣としては一族以外で唯一与えられている事からも北条家の中で重きをなしていた事が窺える。氏続は永禄12年(1569年)正月に駿河に侵攻してきた武田信玄に......
垪和 氏続(はが うじつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。駿河国興国寺城主。垪和氏は美作国の国人で室町幕府奉公衆であった垪和氏の一族と見られる。氏続は弘治3年(1557年)7月に父・垪和伊予守氏堯から家督を継承した。『北条氏所領役帳』で松山衆として1028貫675文の知行高が記録されている。これは松田・大道寺・遠山ら重臣並みの知行であり、さらに後北条......