周 最(しゅう しゅ、生没年不明)は、戦国時代の西周の公子である。周最についての記述は『戦国策』等に断片的にみられるが、それらには後世に編集されたものも多く、信憑性が疑われる。ある弁士が、斉王(湣王と思われる。)に向かい、「王はなぜ、土地を周君(不明)の子の周最に土地を与えないのですか?」と聞いた。そこで、斉王は部下の司馬捍に命じて、周最に土地を贈ることにした。その上で、周最を周君の太子として推薦した。すると、説客の左尚が、「もしも、周最が王の勧めた太子としての位を受けなかったら、王は処置に窮して斉と周の交わりも途絶えるでしょう。その場合は、王が周君に向か......
周 最(しゅう しゅ、生没年不明)は、戦国時代の西周の公子である。周最についての記述は『戦国策』等に断片的にみられるが、それらには後世に編集されたものも多く、信憑性が疑われる。ある弁士が、斉王(湣王と思われる。)に向かい、「王はなぜ、土地を周君(不明)の子の周最に土地を与えないのですか?」と聞いた。そこで、斉王は部下の司馬捍に命じて、周最に土地を贈ることにした。その上で、周最を周......