呂文煥(りょ ぶんかん、生没年不詳)は、南宋末期の軍人。長江流域で勢力を誇った軍閥の頭領で、兄に同じく南宋に仕えて将軍となった呂文徳がいる。1268年から南宋とモンゴルの最前線である襄陽の守将となり、モンゴル軍の大軍の前に籠城して善戦し、5年もの長きにわたってモンゴル軍を苦しめた(襄陽・樊城の戦い)。しかし宰相の賈似道と折り合いが悪かったらしく、首都・臨安に何度も援軍を要請しても十分な援軍は来なかったという。1271年に送られた范文虎率いる約10万の援軍も大敗した。それでも呂文煥は孤軍奮闘し、遂には城内の兵糧を補うために自身の妻女を城から追い出してまで戦っ......
呂文煥(りょ ぶんかん、生没年不詳)は、南宋末期の軍人。長江流域で勢力を誇った軍閥の頭領で、兄に同じく南宋に仕えて将軍となった呂文徳がいる。1268年から南宋とモンゴルの最前線である襄陽の守将となり、モンゴル軍の大軍の前に籠城して善戦し、5年もの長きにわたってモンゴル軍を苦しめた(襄陽・樊城の戦い)。しかし宰相の賈似道と折り合いが悪かったらしく、首都・臨安に何度も援軍を要請しても......