匡 衡(きょう こう、生没年不詳)は、前漢の政治家。字は稚圭。東海郡承県の人。家は代々農夫であり裕福ではなかったが、匡衡の代になって学問を好み、小作をして学費を捻出し、誰よりも精力的に学んだ。儒者の間では「詩経を語るな、匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」と言うようになった。匡衡は射策で高い評価を得たが、文が法令に従っていなかったので格下げされ太常掌故となり、平原郡文学に遷った。学問をしている者からは匡衡が経書に明るく、後進の者は匡衡についていってしまうので遠方に置くべきではないと言う者が多かった。その件は太子太傅蕭望之、少府梁丘賀に下され、匡......
匡 衡(きょう こう、生没年不詳)は、前漢の政治家。字は稚圭。東海郡承県の人。家は代々農夫であり裕福ではなかったが、匡衡の代になって学問を好み、小作をして学費を捻出し、誰よりも精力的に学んだ。儒者の間では「詩経を語るな、匡衡がやってくる。匡衡が詩経を語れば顎が外れる」と言うようになった。匡衡は射策で高い評価を得たが、文が法令に従っていなかったので格下げされ太常掌故となり、平原郡文......