北条 長順(ほうじょう ちょうじゅん、生年不詳 - 永禄12年12月6日 (旧暦)|12月6日(1569年)は、戦国時代 (日本)|戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で覚胤の名も残る。北条幻庵の3男で後北条氏の家臣。永禄12年(1569年)、武田氏による駿河侵攻からの北条氏との敵対により、三増峠の戦い後の駿河侵攻#第三次駿河侵攻|第三次駿河侵攻の際に武田勝頼の攻撃を受け駿河国|駿河蒲原城(静岡県)に篭城するが落城、兄である氏信(北条綱重)と共に討死した。法名は融深(妙覚院融深殿)。
北条 長順(ほうじょう ちょうじゅん、生年不詳 - 永禄12年12月6日 (旧暦)|12月6日(1569年)は、戦国時代 (日本)|戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で覚胤の名も残る。北条幻庵の3男で後北条氏の家臣。永禄12年(1569年)、武田氏による駿河侵攻からの北条氏との敵対により、三増峠の戦い後の駿河侵攻#第三次駿河侵攻|第三次駿河侵攻の際に武田勝頼の攻撃を受け駿河国......