劉 恭(りゅう きょう、生没年不詳)は、新末後漢初の漢皇室の宗族の人物。字が不明で、劉恭という人物は多いので、爵位をもって式侯劉恭(しきこうりゅうきょう)とも呼ばれる。斉の悼恵王・劉肥の次男の城陽景王・劉章の末裔。式侯・劉萌の子。弟は劉茂・劉盆子。前漢が王莽によって滅ぼされると、父の劉萌は庶民に落とされた(『漢書』王子侯表)。劉恭は若くして『尚書』を習い、あらまし大義に通じたと云う。赤眉軍が泰山郡式県を通る際、弟劉茂・劉盆子共々さらわれた。赤眉の大将樊崇が更始帝に降伏した時、劉恭も降って式侯に封じられ、侍中となって長安へ随行した。樊崇らは更始帝の統治を見限......
劉 恭(りゅう きょう、生没年不詳)は、新末後漢初の漢皇室の宗族の人物。字が不明で、劉恭という人物は多いので、爵位をもって式侯劉恭(しきこうりゅうきょう)とも呼ばれる。斉の悼恵王・劉肥の次男の城陽景王・劉章の末裔。式侯・劉萌の子。弟は劉茂・劉盆子。前漢が王莽によって滅ぼされると、父の劉萌は庶民に落とされた(『漢書』王子侯表)。劉恭は若くして『尚書』を習い、あらまし大義に通じたと云......