内藤 元珍(ないとう もとよし、? - 元和元年10月19日(1615年12月9日))は、毛利氏の家臣。内藤元盛の長男で母は内藤隆春の娘。粟屋元豊の兄。子に元宣。通称は孫兵衛。慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦後に家督を継ぐ。父・内藤元盛(佐野道可)が大坂の陣にて独断で豊臣方について大坂城に入城したが(主家の意向を受けたとも言われる)、落城して逃走中に捕らえられて切腹させられた佐野道可事件で、徳川氏により京都に呼び出された際、特に弁明できなかったが、大坂城に入城しなかったため許されて帰国した。だが、帰国した早々、吉川広家・福原広俊らの進言を受けた毛利輝元......
内藤 元珍(ないとう もとよし、? - 元和元年10月19日(1615年12月9日))は、毛利氏の家臣。内藤元盛の長男で母は内藤隆春の娘。粟屋元豊の兄。子に元宣。通称は孫兵衛。慶長5年(1600年)、関ヶ原の合戦後に家督を継ぐ。父・内藤元盛(佐野道可)が大坂の陣にて独断で豊臣方について大坂城に入城したが(主家の意向を受けたとも言われる)、落城して逃走中に捕らえられて切腹させられた......