内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日- )は、軍事航空評論家、翻訳家。滋賀県伊香郡高月町(現長浜市)生まれ。筆名・嵯峨浩一。1944年京都帝国大学工学部航空工学科卒。同年海軍技術中尉。1951年事業用操縦士。54年航空大学校教授。59年防衛庁技術研究本部勤務、81年定年退官。航空医学実験隊技術顧問、東海大学講師など。著述のほか翻訳も行う。
内藤 一郎(ないとう いちろう、1921年2月24日- )は、軍事航空評論家、翻訳家。滋賀県伊香郡高月町(現長浜市)生まれ。筆名・嵯峨浩一。1944年京都帝国大学工学部航空工学科卒。同年海軍技術中尉。1951年事業用操縦士。54年航空大学校教授。59年防衛庁技術研究本部勤務、81年定年退官。航空医学実験隊技術顧問、東海大学講師など。著述のほか翻訳も行う。