八木 正信(やぎ まさのぶ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。昌信とも。通称は新四郎。官位は主水佐、越後守。入道名は嘉竺(宗栄とも)。父は八木信親。子は八木豊信。先祖は日下部氏で、岩切氏・土持氏・海江田氏らとは同族である。正信は青蓮院流書家の門弟で、薩摩国の島津義久の祐筆役を務めると共に、書の指南役も務めた。また、真幸院吉田の地頭として2,000石余を知行されている。天正元年(1573年)、正信は稲荷社別当の宝持院と共に、禰寝重長へ降伏を説く使者を務める。天正12年(1584年)の沖田畷の戦いの際には島津家久に従い肥前国......
八木 正信(やぎ まさのぶ、生没年不詳)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。島津氏の家臣。昌信とも。通称は新四郎。官位は主水佐、越後守。入道名は嘉竺(宗栄とも)。父は八木信親。子は八木豊信。先祖は日下部氏で、岩切氏・土持氏・海江田氏らとは同族である。正信は青蓮院流書家の門弟で、薩摩国の島津義久の祐筆役を務めると共に、書の指南役も務めた。また、真幸院吉田の地頭として2,00......