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代王嘉

推定知名度0.46%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

代王嘉(だいおう か、生没年不明、在位紀元前227年 - 紀元前223年)は、中国戦国時代の趙の最後の(第11代)君主。王としては第5代。姓は赢、氏は趙、諱は嘉。悼襄王の子、幽繆王の兄。嘉は悼襄王の嫡出の長子で太子であったが、悼襄王は寵愛していた倡后の産んだ公子遷を後を継がせるために太子嘉を廃嫡にして、公子遷を太子とした。やがて太子遷は父の後を継いで幽繆王となった。前228年、秦の将軍王翦は趙の都邯鄲を陥落させた。幽繆王は捕虜となり房陵に流され、趙は滅亡した。しかし公子嘉は一族を連れて代(現:河北省蔚県南西部)に逃れ、そこで王を名乗った(代王嘉)。王嘉は燕王喜と結んで秦に抵抗したが、燕の太子丹率いる燕・代連合軍は易水で秦軍に敗れ、燕王父子は遼東に逃れた。王嘉は王喜に丹を殺して秦に和を請うよう勧めたので、王喜は丹を殺し、その首を秦に献じた。秦王政はこれを受け入れ、進撃を中止した。しかし、この和睦は束の間に過ぎなかった。前223年、王翦の子王賁率いる秦軍は遼東を攻め、燕王喜を捕虜とし、ここに燕は滅亡した。王賁はさらに代にも攻め入り、王嘉を捕虜とした。こうして趙の王統は絶えた。かCategory:生没年不詳

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