今福 友清(いまふく ともきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。武田氏の家臣。譜代家老衆。駿河国久能城主。今福氏は甲斐源氏・奈古氏を遠祖とする一族。『甲陽軍鑑』によれば、浄閑斎は70騎を有していたという。武田氏は天文年間に信濃侵攻を本格化させるが、『高白斎記』によれば天文22年(1553年)の信濃筑摩郡侵攻において「今福石見守」が刈屋原城(長野県松本市)の城主となり、知行地を巡り信濃国衆の海野下野守と争論が発生したという。この記事が初見史料とされる。また、『高白斎記』によれば、信濃深志城主・馬場信房、平瀬城主・原虎胤が甲府参府中に、浄閑斎は横田......
今福 友清(いまふく ともきよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。武田氏の家臣。譜代家老衆。駿河国久能城主。今福氏は甲斐源氏・奈古氏を遠祖とする一族。『甲陽軍鑑』によれば、浄閑斎は70騎を有していたという。武田氏は天文年間に信濃侵攻を本格化させるが、『高白斎記』によれば天文22年(1553年)の信濃筑摩郡侵攻において「今福石見守」が刈屋原城(長野県松本市)の城主となり、......