画像引用元: upload.wikimedia.org上野頼久
推定知名度0.13%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
上野 頼久(うえの よりひさ)は、戦国時代の武将。備中国松山城主。備中上野氏は河内源氏の流れを汲む足利氏の支流・上野氏の庶流。室町幕府10代将軍足利義稙は明応2年(1493年)、従弟の足利義澄に将軍職を追われて西国に落ち延びたが、永正8年(1508年)、再び将軍に返り咲き、翌永正6年(1509年)、備中の固めとして上野信孝を備中鬼邑山城に封じた。信孝は後に一門の高直に鬼邑山城を委ね、頼久には同国松山城を預けて帰洛した。頼久は備中における勢力拡大に努め、その後嫡子・頼氏に松山城を譲り、次男・右衛門尉を小松山城に入れてさらなる基盤を作り上げた。また頼久は永正年間(1504年-1520年)、天柱山安国寺を再建するなどの功績を残した。なおこの安国寺は、後に同地を訪れた小堀政一により、再建者の名を冠した頼久寺と改称され現在にいたる。よりひさcategory:戦国武将category:備中国の人物category:生年不明Category:1521年没
過去の推移
–06
0.1107
0.1908
0.209
0.210
0.211
0.1512
0.1613
0.1614
0.1615
0.1316
