三好 新五郎(みよし しんごろう)は、戦国時代の武将。三好之長の甥である。「三好越後子」とされており、「筑前(之長)が弟の三好越後と申者の子」と記されている。永正17年(1520年)5月5日、細川澄元や伯父の之長に従って細川高国と等持院で戦うが敗北(等持院の戦い)。伯父や従兄弟の芥川長光、三好長則兄弟と共に曇華院殿に潜伏した。しかし高国に潜伏先を察知され、5月11日に伯父と共に生命の保証を条件にして降伏するが高国に騙され、同日のうちに伯父と共に知恩寺で斬られた。父と弟の勝長・政長は後に高国と戦い政権を奪い取った。
三好 新五郎(みよし しんごろう)は、戦国時代の武将。三好之長の甥である。「三好越後子」とされており、「筑前(之長)が弟の三好越後と申者の子」と記されている。永正17年(1520年)5月5日、細川澄元や伯父の之長に従って細川高国と等持院で戦うが敗北(等持院の戦い)。伯父や従兄弟の芥川長光、三好長則兄弟と共に曇華院殿に潜伏した。しかし高国に潜伏先を察知され、5月11日に伯父と共に生......