マヌエル・コムネノス・ドゥーカスの画像画像引用元: tastar.web.fc2.com

マヌエル・コムネノス・ドゥーカス

推定知名度0.09%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

マヌエル・コムネノス・ドゥーカス(Μανουήλ Κομνηνός Δούκας, Manouel Komnenos Doukas, 生年不詳-1241年没)はエピロス・テッサロニキ専制公(1230年-1237年)。中世ギリシア語表記ではマヌイル・コムニノス・ドゥカス。テッサロニキ「皇帝」テオドロス1世コムネノス・ドゥーカスの弟。父系ではアンゲロス(Άγγελος, Angelos)であるが実際にはその名前を使用していない。兄テオドロスがクロコトニツァの戦い(1230年)で捕虜になった後、統治職を代行する。しかしテオドロスは1237年にブルガリア帝国皇帝イヴァン・アセン2世によって釈放され帰国すると、マヌエルを市から追放し長子ヨハネスをその支配に据えてしまう。マヌエルはやむなくテッサリアに逃れてそこに支配権を確立する。これによってかつての「テッサロニキ帝国」はテッサロニキ(ヨハネス)、テッサリア(マヌエル)、エピロス(ミカエル2世)の三国に分割された事になる。マヌエルは1241年頃に死去し、その遺領はミカエル2世が併合した。マヌエルの最初の妻はセルビア君主ステファン・ネマニャの姉妹。二番目の妻はイヴァン・アセン2世の娘。共に子供は生まれなかった。Category:エピロス専制公Category:ドゥーカス家Category:1241年没

過去の推移