プスコフ公(Псковские князья)はプスコフ公国(プスコフ共和国)の公の称号(クニャージ)である。プスコフ公国の初代の公はウラジーミル1世の子のスディスラフである。プスコフ公国では民会の力が強く、公の権限は他のルーシの諸公国に比べわずかなものだった。キエフ大公国の滅亡の後、プスコフ公国はノヴゴロド公国に属していたが、1348年にノヴゴロド公国はプスコフ公国の独立を認めた。一方、プスコフ公国はモスクワ大公国へ接近し、モスクワ大公による公の任免権を承認した。1399年からのプスコフ公はモスクワのナメストニク(モスコフスキー・ナメストニク)と呼ばれる......
プスコフ公(Псковские князья)はプスコフ公国(プスコフ共和国)の公の称号(クニャージ)である。プスコフ公国の初代の公はウラジーミル1世の子のスディスラフである。プスコフ公国では民会の力が強く、公の権限は他のルーシの諸公国に比べわずかなものだった。キエフ大公国の滅亡の後、プスコフ公国はノヴゴロド公国に属していたが、1348年にノヴゴロド公国はプスコフ公国の独立を認め......