画像引用元: cdn55.atwikiimg.comジョン・ベイリャル
ジョン・ベイリャル(John Balliol, 1249年? - 1314年11月25日)は、スコットランド王国|スコットランド王(在位:1292年 - 1296年)。ウィリアム1世 (スコットランド王)|ウィリアム1世の弟ハンティンドン伯デイヴィッドの長女マーガレットの娘デヴォグィラの子。妻のイザベルはヘンリー3世 (イングランド王)|ヘンリー3世の異父妹アリス・ド・リュジニャンと後にスコットランド総督となった6代サリー伯ジョン・ド・ワーレン (第6代サリー伯爵)|ジョン・ド・ワーレンとの娘(つまりエドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世の従姉妹)である。1290年女王マーガレット (スコットランド女王)|マーガレットの死去により、ダンカン1世 (スコットランド王)|ダンカン1世以来のアサル王家の直系が絶えたため、王位の座をめぐって13人の王位継承者たちの争いとなった(スコットランド独立戦争#王位継承者問題を参照)。1291年、スコットランド支配を狙うイングランド王国|イングランド王エドワード1世 (イングランド王)|エドワード1世がこの争いに介入し、裁定者としてジョン・ベイリャルを王位継承者に選んだ。長系継承者であることが公式の理由であるが、イングランド王家と近かったこと、御しやすい人物と思われた等が理由として推測されている。翌1292年、ジョン・ベイリャルはスクーンのスクーンの石|運命の石の上で戴冠した。スコットランド王となったジョン・ベイリャルであったが、イングランド王に対しての臣従を誓わされ、エドワード1世の完全な傀儡であった。しかし、ジョン・ベイリャルは1294年にフランス王国|フランスへの兵員動員を拒否し、フランス王国|フランス王フィリップ4世 (フランス王)|フィリップ4世と同盟(いわゆる)を結んだ。1296年4月、ジョン・ベイリャルはイングランド王に対する臣従を拒否し、北部イングランドへ侵攻した。しかし、エドワード1世に、一旦は逃れたものの、7月10日ストラカスロで降伏して、王冠を捨てた。廃位されたジョンは長男エドワード・ベイリャル (スコットランド王)|エドワードとともにロンドンに送られ、3年間ロンドン塔に幽閉された。1299年、釈放されたジョン・ベイリャルはフランス・ピカルディの所領に引退し、15年後の1314年に没した。Category:スコットランドの君主しよんCategory
