郝 昭(かく しょう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の軍人。字は伯道。并州太原郡の出身。子(嫡子)は郝凱。『明帝紀』が引用する『魏略』に記述がある。若い頃から軍人として曹操に仕えた。勇猛果敢で、各地を転戦して武功を立て、雑号将軍となった。また曹丕(文帝)の時代には河西一帯の守備を任された。西平郡の麹英が反乱を起こした時は、同僚の鹿磐と協力してこれを鎮圧し、麹英を殺害している。228年、蜀漢の諸葛亮が侵攻し陳倉を包囲した。諸葛亮は郝昭の同郷である靳詳を派遣して降伏を呼びかけたが、成果はなかった。一方、守備を任されていた郝昭は曹真の......
郝 昭(かく しょう、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代にかけての人物。魏の軍人。字は伯道。并州太原郡の出身。子(嫡子)は郝凱。『明帝紀』が引用する『魏略』に記述がある。若い頃から軍人として曹操に仕えた。勇猛果敢で、各地を転戦して武功を立て、雑号将軍となった。また曹丕(文帝)の時代には河西一帯の守備を任された。西平郡の麹英が反乱を起こした時は、同僚の鹿磐と協力してこれを鎮圧......