ウドゥルタイ(兀都帯、1271年-1302年)は、元朝中期の武将。アントン(安童)の子でバイジュの父。父と同様に宿衛長を務める。『元史』安童伝によれば、父が没した際には一切の贈物を受け取らずに質素な葬儀を行い、母親には孝を尽くしたとされている。クビライの崩御、テムルの即位に際しては銀青栄禄大夫・大司徒を拝し、太常寺のことを掌ってクビライの葬儀や廟号決定などに深くかかわった。その一方でテムルの時代に入ると、ウドゥルタイがテムルに反抗的な諸侯の1人として名前が登場するようになる。元貞2年(1296年)11月、ウドゥルタイらがオゴタイ以来3代のモンゴル帝国大ハー......
ウドゥルタイ(兀都帯、1271年-1302年)は、元朝中期の武将。アントン(安童)の子でバイジュの父。父と同様に宿衛長を務める。『元史』安童伝によれば、父が没した際には一切の贈物を受け取らずに質素な葬儀を行い、母親には孝を尽くしたとされている。クビライの崩御、テムルの即位に際しては銀青栄禄大夫・大司徒を拝し、太常寺のことを掌ってクビライの葬儀や廟号決定などに深くかかわった。その一......