イーホル・スヴャトスラーヴィチの画像画像引用元: upload.wikimedia.org

イーホル・スヴャトスラーヴィチ

推定知名度0.43%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

イーホル・スヴャトスラーヴィチ(古ルーシ語: Игоръ Ст҃ославич, Игорь Святъславличь;І́гор Святосла́вич;1151年 - 1202年)は、キエフ大公国時代のリューリク朝オーリホヴィチ家の公。シヴェーリア公(1178年 - 1198年)、チェルニーヒウ公(1198年‐1202年)。チェルニーヒウ公スヴャトスラフ・オリゴヴィチ (チェルニゴフ公)|スヴャトスラーヴ・オーリホヴィチの次男。日本語では名は「イーゴリ」とも表記される。1161年、アンドリーイ・ユーリヨヴィチ公によるキエフへの出兵に参陣した。1174年、ペレヤースラウの周辺でコンチャーク|コンチャク・ハンとコビャーク|コビャク・ハンが率いるクマン人|欽察人の軍勢を破った。兄オレグ・スヴャトスラヴィチ (ノヴゴロド・セヴェルスキー公)|オレーフ・スヴャトスラーヴィチの死後、ノーウホロド=シーヴェルシクィイ公となった。キエフ大公の座を巡る内紛に参加した。1183年、欽察人の領土へ出兵し、勝利を収めた。しかし、1185年に行った新たな出兵において惨敗を喫し、欽察人の捕虜となった。1185年度の出兵は『イーゴリ遠征物語』のモチーフとなった。その後、父の跡を継ぎチェルニーヒウ公をつとめた。

過去の推移