画像引用元: upload.wikimedia.orgイサベル・デ・アラゴン・イ・シシリア
イサベル・デ・アラゴン・イ・シシリア(スペイン語|西:Isabel de Aragón y Sicilia, 1271年 - 1336年7月4日)は、アラゴン連合王国|アラゴン王ペドロ3世 (アラゴン王)|ペドロ3世と王妃コンスタンサ・デ・シシリアの娘で、ポルトガル王国|ポルトガル王ディニス1世 (ポルトガル王)|ディニス1世の妃。ポルトガル語名はイザベル (Isabel de Aragão)、カタルーニャ語名はエリサベ (Elisabet d'Aragó)。1235年に列聖された大伯母のハンガリー王国|ハンガリー王女エルジェーベト (ハンガリー王女)|エルジェーベト同様、カトリック教会で聖人とされており、ポルトガルの聖イザベル王妃として、ポルトガルでは知られている。日本のカトリック教会では聖エリザベト(ポルトガル)皇后と表記される。イザベルは幼い頃から敬虔なカトリック教会|カトリック教徒で、日に2度ミサへ通ったという。少女時代から貧者や病人への奉仕を日々の信仰の日課としており、ディニス王と結婚後も変わらなかった。彼女の周りには人々が集まるようになり、人望を集める彼女への妬みも生じた。伝説では、たびたび城を出て奉仕に出かける妻を浮気と疑った王が、その手に持つのは何かと問いただしたという。イザベルは「籠にバラが入っているのです。」と答え、パンの入った籠を隠した。王に籠を見せるように言われて差し出すと、中にはバラの花が入っていた(貞節、そして無実の証として神の手でバラに変えられた)。ディニスとイザベルの間には、コンスタンサ・デ・ポルトゥガル|コンスタンサ(カスティーリャ王国|カスティーリャ王フェルナンド4世 (カスティーリャ王)|フェルナンド4世妃)とアフォンソ4世 (ポルトガル王)|アフォンソの2子が生まれた。王子アフォンソは、父王が庶子である異母弟に王位を譲ろうとしていると邪推し、1323年に父に対し反乱を起こした。しかし、イサベルの仲裁で父子は和解した。1325年にディニスが死ぬと、アフォンソが王位に就いた。イザベルは、自らがコインブラに寄進したフランシスコ会派の貧者クラレス修道院へ引退した。残りの人生を、弱者たちへの奉仕で送ろうと考えたのである。しかし彼女は再度仲裁者として矢面に立たねばならなかった。1336年にアフォンソ4世が、娘マリアが夫アルフォンソ11世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ11世により虐
