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アルフォンソ11世

推定知名度0.75%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

アルフォンソ11世(Alfonso XI, 1311年8月13日 - 1350年3月26日/3月27日|27日)は、カスティーリャ王国のカスティーリャ君主一覧|国王(在位:1312年 - 1350年)。カスティーリャ王フェルナンド4世 (カスティーリャ王)|フェルナンド4世と王妃コンスタンサ・デ・ポルトゥガル|コンスタンサの唯一の男子。生後13ヶ月で即位した。14歳で親政開始し、すぐに摂政フアン・マヌエルを追放した。従妹にあたるポルトガル王国|ポルトガル王女マリア・デ・ポルトゥガル (カスティーリャ王妃)|マリア(アフォンソ4世 (ポルトガル王)|アフォンソ4世の娘)と結婚したが、彼女を顧みなかった。愛妾レオノール・デ・グスマンをそばから離さず、王妃とペドロ王子(のちのペドロ1世 (カスティーリャ王)|ペドロ1世)を王宮から遠ざけた。レオノールとの間の息子エンリケ(のちのエンリケ2世 (カスティーリャ王)|エンリケ2世)はトラスマタラ伯爵家へ養子に出されたが、王の近くで育った。エンリケの同母弟たちの処遇もぬかりなく、ファドリケ・アルフォンソ・デ・カスティーリャ|ファドリケはサンティアゴ騎士団長となった。テリョ・デ・カスティーリャ|テリョは豪族ララ家の女子相続人と結婚することで、ビスケー湾に面したビスカヤの領主となった。彼の愛妾への偏愛が、のちのカスティーリャの内乱(第一次カスティーリャ継承戦争)を招くことになる。レコンキスタに熱心に取り組み、何度もアンダルス|アンダルシアのイスラム軍を攻めている。1350年、ジブラルタル攻略中に黒死病で陣没した。Category:カスティーリャ国王Category:ボルゴーニャ家 (カスティーリャ)Category:スペインの幼君Category:1311年生Category:1350年没Category:ペストで死亡した人物

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