もろ多玉枝・広多成三郎(もろたたまえ・ひろたなりさぶろう)は戦前、戦後にかけて活躍した漫才コンビ。1929年からすでに「荒川玉枝・成三郎」として吉本興業部の連名に名を連ね、戦中はわらわし隊なる慰問団に参加し中支那班の一員で派遣。戦後は戎橋松竹に始まり、最晩年は吉本興業の劇場に出ていた。「馬漫才」称する漫才が有名ですべてのボケ、ツッコミ、ギャグ、落ちまでが馬の話に帰結するという漫才を行なった。もろ多玉枝没後は妻の小唄志津子(広多シズエの名で)とコンビを組み「馬漫才」に変わる「牛漫才」を行なった。「澤田隆治が選んだ 爆笑!漫才傑作集(5)」に音源が収録されてお......
もろ多玉枝・広多成三郎(もろたたまえ・ひろたなりさぶろう)は戦前、戦後にかけて活躍した漫才コンビ。1929年からすでに「荒川玉枝・成三郎」として吉本興業部の連名に名を連ね、戦中はわらわし隊なる慰問団に参加し中支那班の一員で派遣。戦後は戎橋松竹に始まり、最晩年は吉本興業の劇場に出ていた。「馬漫才」称する漫才が有名ですべてのボケ、ツッコミ、ギャグ、落ちまでが馬の話に帰結するという漫才......